金芝河の詩を主題とした絵と音楽による連帯のメッセージ:
スライド「しばられた手の祈り」の上映会が49年前に大阪御堂会館であった
80歳を過ぎ、断捨離を少しずつ始めた。昔の日記帳などを見ながらの作業故に、ほとんど『捨離』が進まない。1977年の日記帳の頁をめくっていると、懐かしい記録があった。アムネスティ関西グループが富山妙子さんの「しばられた手の祈りー1974年韓国でー」スライド上映会を大阪御堂会館で開催した時のものだ。1977年6月、当日は当時京都精華短期大学教授であった社会学者の日高六郎さん、そしてアムネスティ日本支部の理事長の西村関一さんが講演をしている。日高さんは1969年には東大紛争での大学当局による機動隊導入に抗議して東京大学教授を辞職していた。
このスライド「しばられた手の祈り」は朴正煕政権によって投獄され、死刑求刑(のちに無期懲役)を受けた韓国の良心の囚人であり民衆詩人、金芝河の詩に強く動かされて1976年に制作された作品。制作スタッフは、絵は富山妙子、音楽は林光、黒沼ユリ子、高橋悠治が担当。語りは林洋子、伊藤惣一。構成は前田勝弘、小池征人、土本典昭という蒼々たるメンバーによって構成されている。1970年代の韓国における凄惨な軍事独裁政権下の弾圧と、それに抵抗する人々の不屈の意志を、絵(リトグラフ)・詩・音楽を融合させて告発している。
富山妙子氏はスライドの案内に次の文を寄せている。
火種と火床 富山妙子
いったい絵画とは何であろうか裕福な生活の上に咲く、美しい花なのか。この線は美しい。この色はみごとだと称讃される消極的な愛がん物なのだろうか。
それとも受けとった側に何らかの人間変革を引きおこし、実践や行動へとかりたててゆく、解放への「火種」であろうか。
芸術の作り手と受け手の関係は現在のような状態でよいのだろうかを反省するとき、私の心に響いてくるのはアジア、アフリカ、ラテン・アメリカなどの抑圧されている人びとから生み出されつつある詩や音楽であった。
韓国の詩人、金芝河は命がけで詩をかいた。その詩はなんと赫々と燃える火種であったろう――その火種を獄中も辞さないで伝播してゆこうとする伝達者、熱い火で火床として受けとめる人。まさにここには作り手、伝達者、受け手のよき三位一体がある。
それにくらべて日本の状況はどうであろう。作り手である芸術家の側は火種を飛ばす力もなく、また状況に身もさらさず、資本の体制にがんじがらめに縛られていた。また作り手と受け手の間に立ち、両者の仲介人である伝達者は資本の手にゆだねられ、芸術をも商品化してしまった。
こうした中で芸術が火種となることを拒まれ、また受けとる側も、火種を火種たらしめないほどに冷えきっていた――このような芸術の悪しき三位一体をどのように変えられるだろうか。
上映会から49年が経った。上映会前日には、当時アムネスティ大阪事務所があった肥後橋の聖書館ビルの屋上で、同じ会員の故菱木康夫さんと二人で翌日御堂会館の壇上に吊す看板を夜遅くまでかけて制作したことを思い出す。当日司会をしたのが妻の祥枝で、彼女は9月に出産を控えた身であった。私たちは1980年には奈良グループを結成、そして同年に奈良市内でもこのスライド上映会を開催した。
2026年6月16日
野尻賢司 (アムネスティ日本 入管・多文化共生チーム)
